バイオグラフィー
小学校時代の想い出
虫カゴで買ってもらったカブトムシの成虫を飼うことしか知らなかった少年が新たな楽しみ方を覚えていきます。
カブちゃん腐葉土では育たず
幼稚園の頃は、成虫でしか、カブトムシを飼ったことがありませんでした。
小学校2年の5月頃に商店街のペットショップでカブちゃんの幼虫を売っているのを見つけました。母親にせがんで一匹の3令幼虫を買ってもらいました。
飼育方法が良く分からず、大きなおせんべいが入っていた缶に腐葉土とともに入れて飼育を開始しました。当時はどのような腐葉土が良いかも判らず、園芸店で買ってきたものを入れたのですが、幼虫は一向に大きくならず日に日に小さくなっていってしまいました。
お店の人に“蛹になるよ”といわれていたのにとうとう幼虫のまま死なせてしまいました。大変残念で悔しい想いをした記憶があります。
今、思えばこの腐葉土は農薬つきだったのか樹種が合わなかったのではないかと考えています。
ノコギリ軍団襲来
その年の夏の夜のことです。
当時は戦後に建てた古い家だったので網戸も金網でした。夜8時過ぎにおじいちゃんとテレビで野球を見ていると網戸に何やら虫がついているのが見えました。慌てて近寄ってみると大きなノコギリクワガタが4匹(♂2匹、♀2匹)もついているではありませんか!
急いで外に回り夢中で両手で捕まえました。
当時、家に出入りしていた大工さんからおがくずをもらい水槽で飼育を開始しました。大きな湾曲した角がとてもカッコ良く、威嚇して振り回す様にその夏は心酔してしまいました。
ところで都心(東京都世田谷区)の住宅街になぜ、4匹ものノコギリクワガタがいたのでしょうか?近年まで近所で飼育していたものが脱走したものと思っていましたが、違う可能性もあるのでは?と最近思い始めています。
仮説1
当時、庭には椎茸のほだ木が何本かあり、園芸好きの祖母が椎茸を栽培していた。何らかの理由でこのほだ木に産卵されていたノコギリクワガタが羽化したものが、飛来した。
仮説2
これは最近、1999年の月間むし11月号のオオクワガタ特集号の小島啓史さんの記事を読んでいて閃いた仮説です。その投稿では各地のヒラタクワガタのことが書かれており、なんと私の自宅のすぐ側の国の施設で60mmを超える立派な本土ヒラタが1998年に採集されたというものでした。
確かにその場所は今でこそ改築され樹木が整備されてしまいましたが幾つか木(恐らくコナラ?)があったような気がします。我が家に飛来してもおかしくない距離でそこから飛来したのでは?と最近考えるようになりました。
今となっては、推測するしか検証する手立てはありませんが、思いを巡らすのもまた楽しいものです。
小学校3年にあがる時にその後のクワカブ人生を変えるようなことが起きました。
父の仕事の関係で大阪府柏原市に転校となりました。柏原市は、大阪平野の南東部、大阪府と奈良県との府県境に位置しています。奈良盆地の諸流を集めた大和川が、金剛・生駒山地を横断して大阪平野に流れ出る付近に、その街並みを形成したようです。
市域の3分の2を山が占め、中央部を大和川が流れています。大阪の都心からわずか20kmほどの距離にありながら、緑の山々と美しい渓谷、豊かな川の流れなど、多彩な自然環境を備えた、とても暮らしやすい市でした。
山麓にはブドウ畑が多く、夏から秋にかけてはブドウ狩りが盛んに行われています。また、このブドウからできたワインは、柏原地ワインとして知られています。昔は河内木綿が有名でした。最近までゆかた生地の生産が行われており全国シェアの約25%を占めていましたが現在は、減少しているそうです。
今思えば山梨の甲府盆地のような場所だったのかなと思います。ここでの4年間は、昆虫採集と野球、そして工作と勉強そっちのけで毎日を過ごしました。
社宅の前の雑木林
父の会社の社宅は宅地造成が始まったばかりの山間にありました。
社宅の前にしょぼい雑木林があり、“きっとあそこにクワガタがいるに違いない!”と春の頃から思っていました。
初夏のある夕方、意を決して一人で藪の中に入って行きました。太目のくぬぎの木があり、その根元の落ち葉を掻き分けると黒い小さなクワガタが出てきました!慌ててわしづかみにしてみると確かにかわいい角がついています。
今まで見てきたミヤマクワガタやノコギリクワガタに比べるととてもかわいらしいのですが、初めて林で採ったクワガタで駆け足で戻り地元に子に見せました。
その子は河内弁で“お、もうゲンジとったんか!”と言いました。この地方ではクワガタのことを“ゲンジ”と呼ぶことがその後わかりました。家の図鑑で調べるとどうやらコクワガタという種類だということがわかりました。
初めてのDorcus属との出会いです。
それ以来、毎朝と毎夕の雑木林詣でが始まりました。
夜店
夏休み前になると柏原市の国分本町という旧市街に夜店が出ていました。
そこでは、カブちゃんの蛹が大量に売られていました。勿論、蛹室は壊され、平らなおがくずの上に並べられていました。恐らく近隣の山や雑木林で採取したのでしょう。あの売り方では、養殖でなかったと推測しています。
少ないお小遣いを握り締め、カブちゃんの蛹を買いました。どのようにしたら羽化するのか判らないまま、売られていたように水槽に横たえていましたが、案の定、羽化が上手くいきませんでした。横たえてあった関係から羽が伸びきらずかわいそうなことをしてしまいました。
当時は、学研の図鑑など、限られた情報源しかありませんでしたので、素人には飼育は容易ではありませんでした。
私にとっての羽化不全初体験でした。
カブちゃん初ゲット
学校は柏原市立玉手山小学校といい、たしか関西最古の遊園地(玉手山遊園地、現在の玉手山公園)の横にある新設校でした。社宅から小学校までは一山(玉手山)を超えていかなければならず、毎日が遠足のようでした。
柏原市は古墳が沢山あり、横穴式古墳は洞窟のようで探検好きの小学生には格好の遊び場所でした。小学校の下校途中、道路から脇にそれたくぬぎ林で日中にもかかわらずカナブンと一緒に樹液を吸う大型の甲虫を発見しました。慌てて捕まえるとかわいい角を持った♂のカブちゃんでした。
実は、ゲンジ(クワガタ)は初ゲットのあとで何匹か捕まえていたのですがカブちゃんは初めてでした。
本土ヒラタ初ゲット
1年も経つとひ弱な都会っ子も地元の子に混じって野山を駆け巡るようになりました。
捕まえる“ゲンジ”はコクワばかりで捕まえると近鉄バファローズの野球帽の内側にいれていました。マムシがいるとか蚊に刺されるとか言う人もいましたが、長ズボンや長袖で林にはいる奴はダサイと蚊にくわれながらも藪漕ぎをしていました。
ある時、町のペットショップで巨大な黒いクワガタが売られていました。当時の金額で1000円の値札がついており、店のおばさんによると東条町(ひがんじょ)で採れたヒラタとのことでした。今思えば小プラケースに入っていたのですが60mmは超える大物だったと思います。その時の衝撃から未だにヒラタは私にとって大切なクワガタとなっています。
4年生になった6月頃、雨の下校途中で気になる木を発見しました。崖っぷちのくぬぎの木の大人の背の高さほどのところに樹洞が見えたのです。すべる木をよじ登りながらランドセルに忍ばせておいたピンセットを片手に覗き込むとコクワとちょっと違った角が見えました。
“ヒラタや!”
と喜び勇んで雨の降りしきる中、数十分格闘しました。コクワと違って足の踏ん張りが強く、なかなか出てこなかったのですが、格闘の末、出てきたのは40mm代の♂の本土ヒラタでした。
結局、大阪生活4年間でゲットできたヒラタは残念ながらこの1匹だけでした。後に知ったのですが、ヒラタはこの日のような湿気の多い日によく採れるようです。
ストレート初ゲット
柏原市では、実はノコギリクワガタは全くお目にかかれませんでした。
しかし、4年間で一度だけ小歯型のノコギリクワガタをゲットしました。この地方の方言で少歯型のノコギリクワガタを“ストレート”と呼び、大歯型のノコギリクワガタをスイギュウ(水牛に角が似ている)と呼んでいました。
玉手山遊園地のある山間の南斜面にある小さなくぬぎについているところを捕まえました。実は、ストレートではもうひとつEpisodeがあって、友達が11月下旬に下校途中に樹液を吸うストレートをゲットしています。こんな季節にも採れるんだと感動したことを覚えています。
おくやま
小学校の3年生(1973年)から6年生(1977年)まで、大阪府柏原市旭ヶ丘という町に住んでいました。
自転車で遠征する距離に通称“おくやま”という山がありました。
中学生のお兄さんとしか行けないような山で頂上付近に大きな池があり、えびが採れたのを覚えています。ここでは、平地で見られないミヤマクワガタが取れるとか、カブちゃんの蛹が山ほど採れるとか噂が沢山ありました。
このような山に夜間灯火採集に来れば山ほど採れたのでしょうが、結局ゲットすることはありませんでした。正直、ウチの父は昆虫とかにはまるで関心がなくて夜に採集にいくとかは非現実的でした。
コクワ越冬、正月遊び
小学校時代の年間サイクルは、勉強そっちのけで(笑)、初夏から夏はゲンジ(クワガタ)採りやザリガニ釣り、秋からはカマキリ採りで、冬から春は工作とプラモデルやラジコンというサイクルでした。
夏の間に採ったコクワガタは、冬眠するとの話を聞いていたので4年生の秋からマットを沢山入れて冬眠させました。途中で落ちていく(死んでいく)個体もいましたが、大半は越冬をして、毎年お正月にはコタツ上でコクワガタを起こしてレースをした想い出があります。
よく読んだ書籍
当時、私の母は子供たちの関心があることに関する書籍を積極的に購入してくれました。
「クワガタクワジ物語(偕成社文庫)」中島みち 偕成社 2002年8月出版 700円(税別)
私が読んだ時は筑摩書房で出版されたものでしたが最近、リバイバルで出版されたようです。
コクワガタの三兄弟(実際は違うが)のクワイチ、クワジ、クワゾウを飼う少年とそれを見守るお母さんの物語です。実はこの本を通してクワガタが越冬することを知りました。
子供たちに読ませたいクワ本No.1です。
「カブトムシ 昆虫飼育日記」荻野昭 学習研究社 1984年6月出版
東京都立多摩動物園の荻野さんの本です。昆虫館でのカブちゃんの累代飼育や冬の羽化実験など、小学生にはちょっと難しい内容でしたが今、読み返してみるととても面白い先駆的な本でした。
オオクワガタ
小学生の頃、学研の図鑑でオオクワガタの存在を知りました。
“桜の木やミズナラを好み、樹洞に潜む”と書いてあり、下校途中の桜の木を良く覗き込みましたがもちろん、その影すら見つけられませんでした。風の便りで“おくやま”で採れたとか聞きましたが現物を見ることはありませんでした。
もちろん、桜の木では採れません(正確には成虫は)。幼虫は、クヌギと同じ広葉樹ということでカワラタケなどで適度に朽ちた樹であれば♀が産卵する可能性はあります。実際、採取されたという話を聞いたこともあります。
中学~高校
世田谷にもいたぞ!
4年間の大阪暮らしを経て中学の入学と同時に東京の世田谷区に戻って来ました。
中学になってからは野球部の練習が忙しくてクワガタは正直、興味の範疇外となってしまいました。しかし、近くの都立蘆花恒春園ではコクワガタを観察することができました(今から25、6年前ですが)。
その後は、クワガタは遠い昔の想い出となってしまいました。
成人~現在
クワストーリーは突然に
2001年の夏に、家族で神奈川県八景島シーパラダイスに行きました。
夏の暑い盛りで特設会場では“世界の昆虫展”のような催しが行われていました。
既にそのころにはカブちゃんなどの外来種の輸入が解禁(1999年)されており、小屋の中でアトラスオオカブトムシなどのつかみ取りが行われていました。息子と一通り見学したあとグッズコーナに立ち寄ると何やら気味の悪い瓶が山積みにされているではありませんか!
“菌糸瓶”と書いてありクワガタの幼虫用とのことでした。
当時はただ気味が悪いだけで“よくもあんなもので飼育をするな!”と思っていました。まさか、翌年には自分で数百本も詰めることなるとは..思いもよりませんでした。
始動
栃木県那須でのつかみ取り
2002年夏に那須高原に家族旅行に出かけました。
遊園地の中でカブトムシのつかみ取りをやっており、確か1000円近く払って小学生の息子を参加させました。実は、子供たちがロープで囲われた林の中に入る前にアルバイトの学生がバケツに入ったカブちゃんをばら撒いてから入るというもので何か釈然としませんでした。併せてコクワガタのつがいも500円で買ってしまいました。
翌日、出社して先輩たちに”今では子供の時のようにカブちゃんやクワガタを採れないものですかね?”と話しをすると意外にも二人の方からある場所を紹介されました。
玉川上水でヒラタに再会
東京昭島市に住む先輩からは、”市内を流れる玉川上水沿いに散歩をしていると最近でも時々、カブちゃんが採れるよ!”とお聞きしました。住宅地とのことで半信半疑でしたが、その週末に採集に出かけました。
整備された住宅地の中を多摩川から引かれた玉川上水沿いにくぬぎの木が何十本も植わっていました。これは確かにいそうだということで、童心に帰って周辺を散策すると上水のある場所に朽木が散在しているところがありました。朽木をひっくり返すとなんと約30年ぶりに本土ヒラタの♂に再会することができました。
この個体は約44mm程度で、スレもなく立派な本土ヒラタクワガタでした。その日はコクワガタやカブちゃんを数匹ゲットして帰宅しました(残念ながらここでもヒラタはそれっきりでペアとなる♀をゲットすることはできませんでした)。
結局、これをキッカケに毎週末に玉川上水に出撃して夜間採集を繰り広げることになってしまいました。
茨城県つくば市でカブノコわしづかみ
つくば市に住む先輩からは、自宅のそばで木を蹴ればバサバサとかぶちゃんが落ちてくるよと言われました。これは期待できるとご自宅でバーベキューに参加させていただくついでに採集活動をさせてもらいました。
小学校6年生の息子さんがガイドとなり、町内のポイントを見て廻りました。息子と娘も連れて行きましたが想像以上にカブちゃんとクワガタ(ほとんどがノコギリクワガタでごくわずかコクワガタ)がおり、用意した水槽では足りず、ホームセンターで追加購入して収容しました。
結局午前と午後の出撃でカブちゃんとノコギリクワガタを50匹近く採集することができました。はじめはこどもの情操教育にという建前がありましたので子供たちにつかみ取りさせていましたが、あまりに数が多いので我を忘れて私自身が採集していました(笑)
後日子供からは“お父さん、すごかったよ”と笑われてしまいました。この時採集したカブちゃんの子孫が、やがてむし社のBE-KUWA日本産カブトギネスに選ばれるとは予想もしませんでした。
世田谷でもまだいたぞ!
近場でも採集できないかと考えていたころに、東名のインター近くの区立の公園で息子のサッカーの試合がありました。
待ち時間を利用して近隣を散策したところ、手ごろなくぬぎが何本かありました。樹液に群がるスズメバチを追い払い樹洞を覗き込むとコクワガタの♂と♀を数匹ゲットすることができました。
2003年にもインターネットのオークションでも世田谷産のヒラタクワガタが出品されていましたし、まだまだ都心とはいえ、生息しているようです。
何か、ホッとした気持ちになりました。
始動!
こうなるとDNAが騒ぎ始めます。
インターネットを片っ端から検索して飼育方法だとか産地について研究を開始しました。
私としては子供の頃に成しえなかった夢。カブちゃんとクワガタの累代飼育を是非とも実現したく、この夏に採集した虫たちの飼育をインターネットの先人たちに教わりながら始めました。
カブちゃんは結局200匹近くの幼虫を採取し、ノコギリクワガタも100匹近く幼虫の採取に成功としました。しかし、子供の頃から憧れであったヒラタクワガタは、結局その夏に♀を採取できずこのまま越冬させるかと思案していました。
そんな矢先にあるホームページに辿り着きました。
同じく東京西部を中心にクワガタの採集と飼育をされているKAZU44さんです。オオクワは勿論ですが東京産のヒラタにずいぶん肩入れをしているようでした。思い切ってメールをしたところ、快く返信をいただきKAZU44さんの師匠である昆虫バカセさんのヒラタ♀をお譲りいただくことになりました。
ヒラタの♀だけでなく、静岡県伊豆市で採取された本土ヒラタのF2個体もペアでいただき、さらにハイブリッドのオオクワガタも幼虫をペアでお譲りいただけました。
実は生きたオオクワを見るのはこの時が初めてでヒラタに比べて随分おとなしいなというのが第一印象でした。結局この時いただいた東京産のヒラタと私の採取したヒラタのペアリングは翌年開花することになりました。
新しいステージへ
全開!
結局、筑波山や玉川上水で採集した個体の繁殖をスタート。カブちゃん200匹とノコギリクワガタ100匹、本土ヒラタ2ペア、オオクワ1ペアを洋室一室占拠して飼育を開始しました。
昆虫の聖地とも言われるむし社(東京都中野区)も訪問しました。ニッチな世界ですが、たくさんのファンがいることが判りました。
ブリードに必要となる飼育資材を揃えるとともにアイリスオーヤマのメタルラックとピカ社の温室も購入してしまいました。まぁ、この頃は火が付いたら止まらないといった感じでしたね。
家族には...はじめは内緒にしていたのですがね。
すぐにバレました(笑)
そして山梨へ
2003年の春には、東日本のオオクワガタのメッカと言われる山梨県韮崎産の種親を手に入れ、ペアリングを行いました。
そして、その故郷である山梨県韮崎市に家族旅行をかねて訪問しました。東京方面から行くと中央高速で清里や八ヶ岳方面に行く途中で寄ることができます。
その際、オオムラサキで有名な長坂町のオオムラサキセンターも訪ねました。
韮崎では、はじめてみる“台場クヌギ”の異様な姿に畏怖の念すら覚えました。単に飼育だけでなく、その産地の状況を色々と調べたくなったのもこの頃からです。
決意
冗談で出したむし社のBE-KUWA日本産カブトギネス。
それまでは惰性でやっていた飼育を本格的にやることを決意させてくれました。
やはり、“やるからには温度管理も含めてしっかりした環境で飼育したい。”との思いからあまり使用していなかった第三のトイレを第二の専用ブリードルームに改造しました。
また、ブリードに関するノウハウや飼育状況、産地の情報を記録として残したいとの想いからホームページの開設を思いつきました。
ホームページ名の由来は、Dorcus飼育のナビゲーターを目指して!という想いからです。